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基調講演

 

まず初めに、今回のI.M.のテーマ「21世紀“取りもどそう”国の宝」の言葉を少し変え、真実の自己ということで「21世紀“取りもどそう”真己の宝」と申し上げさせていただきます。これまで皆様は、ご自身を見つめ、ご自身を鍛え、ご自分を大事に育て、そしてご自分が自ら宝物と自覚しておいでになると思いますが、皆様、真実の自己、本当の自分というものをどのように定めていらっしゃいますでしょうか。

我が国だけでも相当の人々がおられますが、この世の人々は皆苦しんでおられる、悩んでおられる。本当に安心している人はおられないようです。一度安心してもたちまちそれが移り変わり、悩み苦しみの日々を送っているのが、ほとんどのようです。衣食住に何一つ不自由していないお方でも、本当に安心していらっしゃいますでしょうか。苦しみがいつ自らを引きずり回すか分からないというのが現実であります。

世の人々が喜びの命に生きられるため、そして、もし本当に救われるという世界があるならば、その救いの事実を明らかに見破って皆さんをお救いしたいと覚悟をなされた方が、今より2504前に北インドに人としてお生まれになられました。普通の人と同じような生活をされて成人された後、愛する妻も子も置いて、ご自分の全てを投げ出されて救いのために命を懸けられた方が、実はお釈迦様であられたのです。

最初お釈迦様は、この体がわがまま根性を起こすので人間は苦しまなくてはいけないということで難行苦行をされます。何も食べずに片足で何時間も立ち続けたのです。しかし、苦行でいたずらに身をくるしめても、本当の人間の救いにはならないということをご自身の体験で見届けられます。それから、お師匠様について、ひたすら瞑目し心を鎮め、自らの命の原点に集中していく座禅の修業に入られます。

岩山の続く洞穴で1年2年と座禅を続けたのですが、地震で危ない状態になられ、山を降りられました。そして、川岸に倒れておられたところを、スジャータという村の娘に介抱され、お釈迦様は元気を復活なされるのでした。その後、菩提樹の下で瞑想に入り、ついにお釈迦様は命の根本に大復活なされたのであります。天地同根万物一体也。この世に現れた天地の全ての物はたった1つのものであったと悟りを開かれたのであります。
 
我々の苦しみの根源をお釈迦様は徹底的に除いてくださるのであります。この世の全ての人々は、全く平等に絶対一元の命をいただき切っている満点のお方であるのです。意識しなくても、何の心配もなく人は呼吸をします。つまり、全て何の心配もなく、大丈夫なのです。この今という全てを与えられきっているのです。まさに、「21世紀“取りもどそう”真己の宝」なのです。本当の自分こそ、誰も奪うことも傷付けることもできない宝の中の宝なのです。皆様は、その真実を一番の根本にして、原点にして、そこから一歩一歩と歩まれておいでになられるわけです。

右手と左手は、姿、形、働きは違いますが、同じ命です。自他不二、つまり自分も他も隔てないということです。我々の常識では自他は別のものですが、この常識が自分を一番苦しめてしまいます。それは、真実ではないからであります。右手と左手が傷付け合うようなことばかり、この世のあちこちで繰り返されております。皆様方ひとりひとりは天下一品であるわけですので、他と比べていいとか悪いとかではありません。本来の自己に身をしっかり定めれば、すべてよし、なのです。

最後になりましたが、本日の主題「道本圓通」は、本来の自分は満点の命で欠けたなにものもない、ということであります。この道本圓通とロータリーと言う言葉は1つの意味を教えてくれるのです。座禅での「露」は満点の自己を丸出しにすることで、「足る」は余るものも足りないもの何もないということです。 ですから、ロータリーは「露足り」なのであります。

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