大平光代弁護士 講演要旨
“心配をかけないこと それがほんとうの親孝行”
記事協力:三河新報社 |
【生まれたときから非行少年はいない】
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現在の活動の中心は、やはり少年事件の弁護である。私がそもそも弁護士になろうと思ったのは、かつていじめを受け、そして非行に走った経験があるので「自分ならば非行に走っている子どもたちの気持ちが分かる」「自分なら何とかできるかも知れない」そう思ったからである。しかし、実際に弁護士になってみて、少年事件を担当するようになり目の当たりにしたのは、自分よりももっともっと苦しい思いをしている子どもたちが、たくさんいるという現実だった。 |
【冷たい家族・・・】 |
A子ちゃんは当時、中学三年生だった。中学二年生のころから、家出等を繰り返すようになり、中学三年生の時に恐喝、シンナー、そして援助交際をして、家庭裁判所に送致された。A子ちゃんの場合にも監護措置がとられ、鑑別所に収容された。そういう点でA子ちゃんの両親が、私の所へ依頼にみえた。A子ちゃんの家庭環境は、私立高校の教師をしているお父さん、ブティック等を手広く経営しているお母さん、高校生のお兄ちゃん、大学生のお姉ちゃんという五人家族。 |
【A子ちゃんもいじめが原因】
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A子ちゃんとも、できないながらも話しをしていくうちに、非行に走ってきた原因が分かってきた。A子ちゃんの場合にも、いじめが原因だった。A子ちゃんが当時、通っていた学校は、中高一貫の私立の学校だった。だから、一旦、輪から離れれば、輪を取り戻すのは実際には難しいという特別な事情があったかもしれない。そういう状況の中、学校に行っても楽しくないもんだから、授業が終わると繁華街をうろつくようになり、気がついた時には、街の不良グループと交際するようになっていた。 そして中学二年生のころから、家出等を繰り返すようになった。当初は、A子ちゃんの両親が探し出して、無理やり家に連れ戻したりしていたが、その間、A子ちゃんが援助交際をしているというのが、母親に分かった。母親は、それが分かった時に、きつくしかった。そして、その後、まるで汚いものを見るような目で、A子ちゃんのことを見続けた。「あなたはもうお嫁に行けませんから。あなたはもう私の子じゃない」と言って、延々と責め続けたのである。自分自身、そういうことが悪いことは分かっていた。 |
【苦しさバネに前向きに】
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父親が亡くなる前、がんは全身に転移していた。「最後は自宅で」と思い、モルヒネをもらい自宅に連れてきた。お父ちゃんは「ええお母ちゃんと、ええ娘を持って幸せやった。本当にありがとう」。これが父の最期の言葉だった。ええ娘だと言われるような娘ではなかったのに。今、たった一つ、願いが叶うのなら、もう一回、中学に戻してほしい。いじめられても自殺未遂して苦しい思いをしても、曲がることはなかったと思う。 親に心配をかけないことが本当の親孝行である。この手が母を殴り、この足が父を蹴ったと思うと情けなくなった。 |